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Kotonoha

金山は「中途半端さが、ちょうどいい街」── 羽鳥浩二(King Papa)が感じる金山の温度

中途半端さが、

ちょうどいい街。

羽鳥浩二(King Papa)

金山駅の熱田区側、南口を出て八熊通りを渡る。
大通りから一本、小さな道に入ると、
街の喧騒がふっと途切れて、
住宅が立ち並ぶ静かなエリアに変わる。

その一角で「King 焼きそば」を営む羽鳥浩二さん。

胸元には「SOUTH SIDE AREA」と刺繍の入った
オリジナルジャケット。金山駅南の熱田区側 ──
自分の“Home”を小さく掲げる旗印のような一着だ。

羽鳥さんは、焼きそば屋の店主であると同時に、
レゲエアーティスト“King Papa”としての一面も持っている。

見た目は少し強面。けれど、笑うと親しみやすくて、
まっすぐで、どこかあたたかい。
店と街と人 ── そのどれもが自然に地続きのまま、
羽鳥さんの中にある。


Kotonohaのロゴ
金山南の「KING焼きそば」で話す羽鳥浩二(King Papa)さん。胸元には“SOUTH SIDE AREA”と刺繍されたジャケット。金山の“南側”を象徴するように、朗らかな笑顔と手の動きが印象的。

“言葉をすくい取り、手渡していく”──
Kotonohaの「街と輪郭シリーズ」では、
まちに息づく人の声を通して、その土地の文化や記憶、
においや温度を静かに描き出していきます。

第2回の舞台は、名古屋・金山。
20年以上にわたりこの街で「King焼きそば」を営み、
商店街と地域をつなぎ続けてきてる羽鳥浩二さん ──
“King Papa”としても活動する彼の言葉を通して、
金山という街の輪郭が、ゆっくりと立ち上がってくる。


街に流れる、ちょうどいい温度


金山は、名古屋の真ん中にありながら、
どこか“はじっこ”の匂いがする街だ。

栄や名駅から数駅。
名古屋の第2ターミナル駅で、熱田神宮にも近い。
それでもどこか導線から外れた場所にあり、
その距離感が金山らしい存在感をつくっている。

駅前の繁華街と住宅地。
異なる気配がゆるやかに混ざり合い、
シティ感と下町感がちょうど半分ずつ溶けあっている。

とくにこの南側(熱田区側)は、人の顔が見える距離感がまだ残っている。

「そういうところが好きなんだよね。」と、羽鳥さんは言う。

「金山って、いい意味で中途半端なんだよね。
すげー都会でもないし、めちゃくちゃ下町でもない。
特にこの南側は、そこが“ちょうどいい”んだよね。」

金山神社の鳥居と社殿の夕景。地元の人々が集う金山南の象徴的な場所で、King焼きそばの羽鳥さん(King Papa)も地域の催しをここで行っている。

近くには熱田神宮をはじめ、昔から続く老舗の店も
あれば、新しくできたカフェやマンションも並ぶ。
伝統と都会が入り混じるその街並みを歩いていると、
時間の流れが、どこかゆるやかに感じられる。

「街の空気がちょっと落ち着いてるんだよね。
歴史とか文化みたいな“土台”がちゃんとある感じ。
でも交通の便もいいし、街のサイズ感もちょうどで、
ほんと、住みやすい街だと思うよ。」

鉄板の上で焼きそばを調理する様子。両手にヘラを持ち、麺と具材、目玉焼きを丁寧に焼く姿。金山南の「KING焼きそば」店内での一場面。

「子どもたちもこの場所で生まれ育って、
King焼きそばもこの街と一緒に育ってきた。」

栄や名駅のような華やかさはないけれど、
静けさと賑わいの“あいだ”にある金山南。

その曖昧さの中に、羽鳥さんは心地よさを見つけている。


金山で動きはじめた日々


羽鳥さんが金山で働きはじめたのは二十歳の頃。
今からおよそ30年前のことだ。
最初の職場は、金山駅近くのエネオス。ガソリンスタンドでのアルバイトだった。

「最初は右も左も分からなかったけど、
お店やお客さんたちが本当に良くしてくれて。
“羽鳥くん、ここ駐車場で使っていいよ!”
“このマンション空いてるから入らないか?”
って、みんなが助けてくれたんだ。」

働くうちに、常連客の紹介で金山に
部屋を借りることになり、
金山の“ちょうどいいサイズ感”が、
妙にが心地よかった。

やがて「自分の力で稼いでみたい」と思い立ち、
エアコン工事の仕事に転職。
がむしゃらに働く日々。

同じころ、もう一つの熱も生まれていた。

金山南のロータリーで開催されたイベントでマイクを握る羽鳥さん。King焼きそば店主としてレゲーアーティストとしても地域を盛り上げる姿。

昔から聴いていたレゲエやヒップホップに
もっとのめり込み、機材を買って曲をつくったり、
仲間とライブイベントを開いたり。

「エンターテイメントが昔から好きだったから。」── そんな日々が日常の一部になっていた。

そして2000年、ミレニアムの年に娘さんが誕生。
新しい家族が増え、日々の暮らしの中に小さな充実を感じていた2003年。

ある日、羽鳥さんのもとに、
人生を変える一本の電話がかかってくる。
金山の隣、神宮前駅にある学生時代のバイト先、
たこ焼き屋の店主からだった。

「うちの店閉めるんだけど、もしよかったらお店やらないか?」

「えっ、急にそんな話ある?と思ったけど、ちょうど“自分で何かやりたい”と思ってた時期だったからね。
あれはもう、運命みたいなタイミングだった。」

とにかく受け継ぐと直ぐに決めて
店を自分のスタイルに変え、
たこ焼きではなく「焼きそば」を選んだ。

「気づけば、子供の頃から焼きそばが好きで。学生時代の弁当にもいつも焼きそばは入ってたし(笑)」


もう一度、火を入れる


金山の仲間たちも応援してくれた。
エネオス時代の常連客が「羽鳥くん、頑張れよ」と
声をかけてくれたり、仲間たちや家族が背中を押してくれた。

好きな音楽と仲間、笑い声は絶えなかった。
ただ、急に飲食店を経営するのは簡単でない。
昼は店、夜はエネオスでバイトをしながら、
なんとか続けていた。

「レゲエのカルチャーが合う人が来てくれるのは嬉しいけど、それ以外の人たちにも“味”で喜んでもらえる店にしないといけない。」

「やってみて気づいたんだ。一人じゃ何にもできないなって。結局、家族も、友達も、お客さんも──みんなが支えてくれてるんだって。」

その気づきが、羽鳥さんの原点になった。

金山のKing焼きそば店主・羽鳥さんが鉄板の上で焼きそばを調理する様子。真剣な表情が印象的。右側は、金山神社あたりを歩く羽鳥さん。


そしてその数年後、また金山との縁がつながる。

エネオス時代の常連さんから、
「尾頭の交差点近くで、お好み焼き屋をやめる人がいるけど、居抜きでやってみないか?」と声がかかった。

「金山でやれるなら」と即決。
もう一度、場所を移して再スタートを切った。

「そのときは、こんなB-boyスタイルで銀行に行ったんだよ(笑)。キャップかぶって、だぼだぼの服で“すみません、融資お願いできますか”って。行員さんも“え、何この人?”って顔してたけど、ちゃんと話を聞いてくれてね。結果的に通ったんだから、本当にありがたかったよ。」

こうして資金を何とか集め、昼はランチと夜は居酒屋を
組み合わせたスタイルで再出発。
働く人も、学生も、地元の人も集まる場所を目指した。

とはいえ、舵取りは簡単ではなかった。
資金も底をつきかけた頃、羽鳥さんは勝負に出る。

「最後の賭けだと思って、当時出始めだったHot Pepperに全部かけたんだよ。広告費をドーンと出して、一面に載せてもらった。大手じゃなくて、一個人店が表紙にドーンって(笑)。」

その決断が転機となった。

掲載直後から客足が伸び、売上と知名度は一気に上昇。「King 焼きそば」は、地元の人気店へと急速に成長していった。


広げるほど、近づいていく


店の評判が広がるそんな中で出場したのが、
東海テレビ主催の「東海三県焼きそばバトル」。
栄で開催されたこのイベントで、
King焼きそばは見事優勝を果たした。

その勢いのまま、ドン・キホーテ店もオープンし、
事業としても大きく展開していく時期だった。

そんな中、「商店街に入ってみないか?」という誘いが届く。

「最初は正直 “うーん、なんか堅苦しそうだな”って思ったよね(笑)。」

ただ商店街に仲間入りしてからは、地元のイベントや交流の機会も少し増え、“地域の顔”としての実感も湧いてきたという。

けれど、お店の方は大きくなるほどに、現場との距離も少しずつ開いていった。

従業員も増え、仕込みや発注、シフト管理……
気づけば、鉄板よりもパソコンに向かう時間のほうが長くなっていた。

「大きくするのが悪いわけじゃないけど、なんか、だんだん“自分の手から離れていく感じ”がしてさ。
人の顔が見えづらくなって、モヤモヤすることも増えたんだよね。」

少しずつ違和感が積もっていく中で、
「やっぱり俺は、“顔の見える距離感”が好きなんだな」
と改めて思うようになった。

「すげー時間かかったけど、頑張って少しずつ縮めていった。」

金山商店街の集まりの一コマ。


一方で、商店街での活動も少しずつ広がっていった。
「レゲエやヒップホップでイベントをやってきた経験もあるし、そういうノウハウを街づくりでも活かせるかもしれない。」

そんな気持ちが芽生え始めた頃、コロナの数年前
── 金山音楽フェス&ヤキソババトルの実行委員として参加したことが転機となる。

音楽や食を通して人が集まる光景を見て、
「自分でもっと企画して盛り上げられるんじゃないか。」と手応えを感じたという。


中途半端と、ちょうどよさ


金山の街で開かれたKANAYAMA BLOCK PARTYの集合写真。音楽と笑顔にあふれる一夜


そこから羽鳥さんの活動は、少しずつ広がっていった。
商店街では理事会メンバーとしての活動も本格的に始まる。

毎月第1週目に開催される「金山マルシェ」を担当し、
さらに年に一度の大型イベント「金山Block Party」を立ち上げた。

レゲエやヒップホップなど、自身が長年関わってきた
ストリートカルチャーを全面に押し出し、
2日間で100組を超えるアーティストが出演。
駅南口の広場全体が、まるごと“金山のステージ”になった。

金山のKing焼きそばの看板と名物焼きそば、そして羽鳥さんが手がけた金山サウスサイドマップ


同じころ、名古屋学院大学とのコラボメニュー開発・販売企画も始まった。学生たちと毎年テーマを決めて
新メニューを考案し、金山まつりや学内外のイベントで販売を行うなど、地域と学生が一緒に盛り上がる取り組みとして定着していった。

そんな矢先、コロナ禍を迎え、街の音が一気に消えた。
人の流れが止まり、イベントも軒並み中止。

またちょうどその頃、羽鳥さんの店も尾頭の交差点近く
から立ち退きを余儀なくされることになった。

不思議とそのタイミングが重なって、
「少し立ち止まって考える時期なのかもしれない」と一瞬思ったという。

それでも羽鳥さんは落ち込むことなく、「よし、どうするか!」と前を向いた。

コロナ禍で金山駅前のイベントで観客に語りかける羽鳥さん。地元のエネルギーを感じる瞬間
コロナ禍の金山駅前イベントでパフォーマンスをする羽鳥さん。


そして現在の住宅街に店舗を移転。こじんまりとしているが、以前よりも“自分らしい店”になった。
2階にはレコーディングもできる小さなスペースがあり、音楽と日常が自然に混ざり合う場所となっている。

とにかく、止まってはいられなかった。
「できることを続けて、思い立ったら即行動!」

南口の新しい夜のスポットとして“金山夜市”を始めたり、“金山ローカル交流会”で地元の人や飲食店同士が
ゆるやかなつながる時間をつくったり。

みんなで近くの金山神社に集まって、焼き芋や流しそうめんなどの小さな催しも開きはじめた。

金山神社で開催された流しそうめんやスイカ割りの金山ローカル交流会。羽鳥さんと仲間たちが子どもたちと楽しむ夏のひととき
金山神社での夏の催し。子どもたちの笑い声が境内に響く。


「地味だけど、子どもたちが笑ってて、
おじいちゃんおばあちゃんも集まってくる。
そういうのが“金山らしい感度”なんだと思う。」

── そうした日々の積み重ねが、羽鳥さんにとっての“金山らしさ”を形づくっているのかもしれない。

「金山って、いい意味で中途半端なんだよね。」
羽鳥さんは、笑いながらそう言った。

昼は駅へ向かう人たちの足音が続き、
夜になると常連の笑い声が路地に響く。
働く人も、住む人も、行き交う人も、
その“あいだ”で混ざり合う。

金山のKing焼きそばで鉄板に向かう羽鳥さん。シンプルな厨房に響く焼き音と香ばしい香り

「無理してカッコつけたり、
頑張りすぎたりしなくてもいい!
そういう空気があるんだよ、金山には。
“無理しちゃうと、街がついてこれなくなるからね。”」

鉄板の上で焼きそばを返しながら、
羽鳥さんはくすっと笑う。
その姿は、金山という街の“ちょうどよさ”を
そのまま体現しているようだった。


羽鳥 浩二(はとり・こうじ)/King Papa
名古屋市熱田区在住。金山南の住宅街で「King 焼きそば」を営む。レゲエアーティスト“King Papa”としての顔も持ち、音楽と食の両面から街を盛り上げてきた。金山商店街理事メンバーとして金山マルシェやBlock Partyなどの企画運営に携わり、金山の魅力を日々発信している。

King 焼きそば  愛知県名古屋市熱田区花町6-16

  • 記事を書いたライター
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Taro Hori

名古屋生まれ。 メルボルン、マニラを経て、約20年ぶりに地元へリターン。 街も、自分も、すこし変わっていて。 いまは、ローカルな手触りを探しているところ。 Tewatashi Projectでは、ハイパーローカルな日常を、そっと切りとりたいです。

  1. 金山は「中途半端さが、ちょうどいい街」── 羽鳥浩二(King Papa)が感じる金山の温度

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  3. 「今池はおもちゃ箱」─ 「せんべろ元気」明山 聡一郎が語るごちゃませで温かい今池

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