Local Stories and Daily Life from Nagoya
ビリヤード友楽 齊藤真志 ─ 灯りが消えていく通りで、もう一度

灯火が消えていくような寂しさ
それでもここに、
もう一度人が集まる場所をつくりたい
齊藤 真志
名古屋市昭和区・曙町。
住宅と店がゆるやかに混ざる通りの途中に、
ひとつ、目を引く建物がある。
全面ガラス張りの外観。
そこがビリヤード場だとは、すぐには結びつかない。
「ビリヤード 友楽(ゆうらく)」
戦後、三重県いなべ市から始まり、
時代とともに場所を移しながら続いてきたこの店は、
いま4代目の齊藤さんによって再び開かれている。


言葉をすくい取り、手渡していく──
Kotonohaでは、
名古屋に息づく人の声や温度を通して、
街の輪郭を静かに描いていきます。
今回の舞台は、名古屋市昭和区・曙町。
通りの途中にあるビリヤード友楽。
この場所を受け継いだのは、4代目の齊藤真志さん。
長く海外で過ごしたのち、この街に戻り、
8年閉じていた店を再びひらいた。
かつて人が集い、街のにぎわいの中にあった場所。
少しずつ灯りが消えていった通りの中で、
もう一度、人が集まる場をつくろうとしている。
齊藤さんの言葉を通して、
この場所に流れてきた時間と、
これからの街のあり方を見つめていく。
戦後から続く、ビリヤード友楽という場所

ビリヤード友楽のはじまりは、
戦後まもない頃にさかのぼる。
三重県いなべ市藤原町にあった
白石鉱山で働く鉱員のために、
齊藤さんの曽祖母が自宅の土間に
ビリヤード台を置いたことが
原点だという。
その後、桑名市を経て、
昭和30年に名古屋市昭和区
曙町へと場所を移した。
地域の人々にも親しまれ、
最盛期には同じ通りに
2店舗を構えるまでになった。
約23年前に現在の一店舗へと
集約され、いまもなお、
この地で続いている。
知り得る限りでは、
名古屋市内で最も古い
ビリヤード場だという。

いまの建物は、
建築家ウシダ&フィンドレイによって
設計された現代建築でもある。
けれど齊藤さんの記憶にあるのは、
もっと生活に近い風景だ。
「生まれたところは木造で、
店と家がつながってたんです。」
「おばあちゃんが、
こたつで座りながら店番したい、
みたいな感じで。」
物心ついた頃の店には、
ピンボールやインベーダーゲームがあり、
近くにある名古屋工業大学の
生徒以外にも、中高生たちが
集まる場所になっていた。
「学生のたまり場みたいな
感じでしたね。
僕にとっても遊び場だったかな。
お客さんがいても普通に
走り回ってましたし。」
営業時間も、
いまの感覚とは少し違う。
お客さんが来たら店を開ける。
きっちり線を引くのではなく、
暮らしの延長に店がある。
「友楽は“友達が集まって
楽しむところ”っていう意味で、
おばあちゃんがつけた名前なんです。」
人が集まり、楽しむ。
その空気が、
友楽の輪郭になっていった。
少しずつ、灯りが消えていく通り
齊藤さんが子どもの頃の
曙通りには、
定食屋や雑貨屋、貸本屋、
靴屋、ラーメン屋、麻雀屋、帽子屋……
商店街だけで暮らしが完結するような
日常が、そこにはあった。
けれど、その風景は
少しずつ変わっていった。


「40年前ぐらいには、
すでに商店街が消えていく
感覚はあったかもしれない。」
バブル崩壊、
商店主の高齢化、
大型商業施設の進出。
理由をひとつに絞ることはできない。
それでも、街の元気が
ゆっくりと薄れていく感覚は、
確かにあった。
「商店街でお店をやっていると、
みんな姿が見えるじゃないですか。
だから信頼関係もできていた。」
屋号で呼び合い、
何かあれば声をかける。
そんなあたたかいつながりが、
この街にはあった。
帰国するたびに目に入ったのは、
シャッターの増えていく通りだった。



少し視線を落としながら、
言葉を選ぶように続ける。
「ろうそくの灯火が
一つ一つ消えていくじゃないですけど、
そういう寂しさがありますよね。」
「継がせない」という言葉も、
何度か耳にしたという。
自分たちの代で終わりにする。
そんな空気が、
街のあちこちに漂い始めていた。
海外で得た価値観と、帰国後の戸惑い

齊藤さんが高校2年生のとき、
ホームステイでカナダ・ヴィクトリアに
1か月滞在したことが、
海外への入口だった。
その後、英語を学ぶために
カナダへ渡り、
フランス語習得のためケベックへ。
21歳でパリへ移り、
ファッションデザインを学ぶ。
さらに香港へ渡り、
気づけば約20年が過ぎていた。
「思うがままに、
そのときに“いい!”と思ったことに
向かって動いてました。」
その身軽さの背景には、
「出会い」に対する信頼がある。
「出会い運はいいっていう自信があります。
自分のことを大事にしてくれる人に
出会うので、
こっちも開放的に付き合ってこれた。」

年齢や立場にとらわれず、
人と人がフラットにつながる関係性。
大人が自然に文化を楽しみ、
それが街の中に息づいている空気。
そうした価値観を持ったまま
日本に戻ったとき、
人との間に見えない壁を
感じることもあったという。
海外で当たり前だった感覚と、
日本の空気とのあいだには、
どこか距離があった。
その距離に、戸惑いと
居心地の悪さを感じることもあったという。
「日本だと年齢や立場を
気にする人が多いなって。
それによってできる壁があるから、
寂しいですね。」
少し間を置いて、そう語る。
また、文化や技術を
受け継いでいくことへの危機感も、
海外での経験の中で強まっていった。
「求められるものも変わっているから、
職人さんの職が無くなっていくんですよね。
そうすると後輩へ教える機会も無くなって、
やがて技術が消える。」
帰国のたびに目にしていた
曙通りの変化も、
その思いを後押ししていた。
止まっていた時間に、灯りをともす

友楽は、母の病気をきっかけに店を閉じ、
その後コロナ禍も重なり、
再開できないまま8年が過ぎた。
8年という月日の中で、
建物は老朽化し、
設備の故障や水漏れなども
重なっていった。
友楽を再開させたいという気持ちと、
高齢の母と過ごす時間を
大切にしたいという思いから、
帰国を決意。
しかし、すぐに
動き出せたわけではなかった。
時間だけが過ぎていく中で、
取り残されているような
感覚もあった。
店のことだけでなく、
街の変化も気にかかっていた。
何度も名古屋に帰る中で、
曙通りの移り変わりは
はっきりと目に入っていた。
生前、父が曙通りを
復興させようと動いたことも
あったが、
協力する店は多くは
集まらなかったという。
その姿を、どこか歯がゆい思いで
見ていた記憶もある。
「お店は続けたかったし、
このまま閉めたままにしておくことへの
もどかしさがあった。
母がやらないのであれば、
自分がやろう、と思って。」
再び開いた友楽には、
これまでとは違う形で
人が訪れるようになった。

最初の頃に訪れていたのは、
インターネットで調べて来る
20代前半くらいの人たちだったという。
建築に関心を持つ
名工大生も訪れるようになった。
「有名な建築家の建物なので、
名工大の教授が紹介してくれて。
建築学科の学生が
来てくれたんですよ。」
人が戻りはじめた一方で、
この先続いていくのかという
不安もあった。
まだ昔のように、
ふらっと人が入ってくる店には
なっていない。
その背景には、
通り全体の変化もある。
「この通りを、人が通らなく
なってるんですよね。
でも、ほかにもお店があれば、
来る理由にはなると思う。」
人の流れは変わった。
それでも、この場所に
人が集まる余地は、
まだ残っている。
その言葉には、
街の可能性をまだ
諦めていない響きがあった。
人が集まる場所を、もう一度つくる

齊藤さんにとって友楽は、
「好きなことができる箱」だという。
「人が集まるのが好きなんですよ。
ホームパーティーとか好きなんですけど、
そういう、好きなことができる
箱みたいな。」
パッと明るい笑顔を浮かべて、
そう話す。
この先は、店を続けるだけではなく、
曙通りで一緒に何かを
やっていけるコミュニティを
つくっていきたいという。
飲食、
レゴのワークショップ、
ラジコンのレース。
遊びの要素も含めて、
人が関われる場を
増やしていく。
そのイメージの原点には、
香港で毎年参加していた
祭りの記憶がある。
「住民もみんな幸せになる感じがあって、
いいなぁと思って。」
曙通りにも、
かつては祭りがあった。
通りを通行止めにして、
小学校で盆踊りが
行われていたという。
若い家族や子どもも
増えているからこそ、
そうした風景をもう一度
つくれないかと考えている。
ただ、子ども向けであればいい、
とは思っていない。
「子どもに喜んでもらうのも大事だけど、
大人が主体となって、
子どもに憧れられる
大人をつくりたい。」
その根底にあるのは、
齊藤さんが大切にしている
価値観だ。
古くからあるものを
そのまま受け継ぐこと。
いまの時代の中で実行し、
工夫しながら
次へとつないでいく。
古いものの中にこそ、
いまにも通じる
本質がある。
友楽もまた、
その途中にある。

「有名な建築として、
外国人にも訪れてもらって、
観光名所のような場所に
していけたらと思っています。」
友達が集まり、楽しむところ。
祖母がつけたその名前を、
いまの時代にもう一度
ひらいていく。
友楽は、
そんな場所になろうとしている。
その灯りは、
まだ消えていない。
齊藤 真志(さいとう・まさし)
名古屋市昭和区・曙町にある老舗ビリヤード場「ビリヤード友楽」の4代目。三重県いなべ市にルーツを持つ家業を受け継ぎ、長く海外で生活したのち帰国。カナダ、フランス、香港で約20年を過ごし、ファッションデザインを学ぶなど、異なる文化の中で経験を重ねてきた。コロナ禍をきっかけに帰国し、約8年間閉じていた店舗を再びひらく。現在はビリヤード場としての運営に加え、地域に人が集まる場づくりを目指し、曙通りでのコミュニティづくりやイベントの可能性を模索している。
ビリヤード友楽 〒466-0003 愛知県名古屋市昭和区曙町1丁目2−6