名古屋の街を、そっと記録する。

Local Stories and Daily Life from Nagoya

KOTONOHA

大ナゴヤ大学・大野嵩明さん ー 知ることに、終わりはない

街は、誰かが積み重ねてきたもの。
今、その上に自分がいる。

大須・仁王門通りから少し入った路地。
商店街近くのビルに、大ナゴヤ大学の事務局はある。

壁一面の本棚には、
名古屋の歴史や街の成り立ちを記した本が、
びっしりと並ぶ。

名古屋が今の形になるまでには、
いくつもの小さな街に、
それぞれの複雑なストーリーがある。

区の名前の由来も、お寺町だった大須の歴史も。

「終わりがない、ということかな。」

街を知る面白さを、大野さんはそう語った。


Kotonohaのロゴ
名古屋・大須の街を窓越しに眺める風景。大ナゴヤ大学の事務局周辺の日常。

言葉をすくい取り、手渡していく──。

Kotonohaでは、名古屋に息づく人の声や温度を通して、
街の輪郭を描いていきます。

今回お話を伺ったのは、
大ナゴヤ大学の理事長を務める大野嵩明さん。

校舎を持たず、名古屋のまち全体をキャンパスに見立てた
「学びの場」で、学生登録者数は6000人にものぼる。

壁の本を取り出しながら、街を知ることの面白さを、
飽きることなく語ってくれた。

大野さんの歩みをたどりながら、
名古屋という街に積み重なってきた時間を、
少しずつ掘り起こしていく。


手探りで、街と向き合う


大ナゴヤ大学事務局で名古屋の街や学びについて語る理事長・大野嵩明さん。

大野さんは名古屋市西区で生まれ育ち、大学は金沢へ。
そして大阪大学大学院の工学研究科に進んだ。

研究していたのは、コンクリート構造物の解析。
街づくりとは、縁遠い分野だった。

その大学院には、専門とは別に、
1年間違うテーマに取り組む仕組みがあった。

大野さんが選んだのは「御堂筋の活性化研究」。
大阪・御堂筋のオフィス街を、どう活性化するかを考える研究だった。

「“活性化とはまず何か”というところから、みんなで議論しました。」

街づくりを担当する企業の人にヒアリングをしたり、
街を歩く人に直接話を聞いたりしながら、手探りで進めていく。

「自分たちで考えて動く、手触り感っていうんですかね。」

「正解がなさすぎて、難しい。
でも、その難しさと面白さに出会い始めました」

世の中をより便利に快適にしていく仕事より、
今取り組んでいることのほうが自分には合っているのかもしれない。

そんなふうに、感じ始めていた時期でもあった。

正解のない問いに、自分たちで考え、
人に聞きながら向き合っていく。

それが、大野さんにとって街と向き合う最初のきっかけになった。


「全然知らないや」と気づいた日


大学院を出た後は、名古屋の投資会社に就職。
ベンチャー企業への投資を担当した。

名古屋で働き始めて、1、2年が経った頃。
ソーシャルビジネスやNPOに関心を持ち、
調べ物をしていたときに、大ナゴヤ大学を見つけた。

並んでいる講座の地名を見て、はっとした。

「この町も、この町も、全然知らないやって気づいたんです」

名古屋・大須の門前町大通。昔ながらの街並みと喫茶店の看板が残る風景。

生まれ育った名古屋にも、
知らない場所がたくさんあった。

いくつかあるプログラムの中から、
「雑草を愛でる。」に申し込んだ。
道端の雑草に目を向けながら、
自分が今何を感じているのかに気づいていくワークショップだった。

講座の終わりには、別のプログラムに参加していた人たちも集まり、
それぞれの体験を語り合う時間があった。

覚王山のこと。有松のこと。堀川のこと。

知らなかった名古屋が、次々と目の前に並んでいく。

「それがすごく面白くて。家に帰ってすぐに、
ボランティアスタッフ応募のメールを送りました。」

スタッフとなった大野さんが、
大ナゴヤ大学で初めて企画したのは、
ブレイクダンスの体験ツアーだった。

当時通っていた教室の先生に頼み、
初心者向けのレッスンを開いてもらった。
その夜は、先生が主催するクラブのイベントへ、みんなで繰り出した。

「クラブに行く人にとっては当たり前でも、
行かない人にとっては異世界ですから。」

大ナゴヤ大学の活動資料。『ナゴヤを舞台に、発見と創造で、一人ひとりの世界を変える』と理念が記された冊子

自分にとっては身近なものでも、
誰かにとっては、まだ知らない世界かもしれない。

「めちゃくちゃ思い出に残っていますね」

大野さんは、懐かしそうに笑った。


街が、仕事になっていく


名古屋・大須の路地裏。古い建物と古着店が並ぶ、大須らしい街の風景 。

会社員として働きながら、
大ナゴヤ大学との関わりは続いていった。

転機が訪れたのは、社会人2〜3年目の頃。

リーマンショックの影響を受け、
勤めていた会社で投資部門を縮小する流れがあり、
大野さんは経理へ異動となった。

そんな中、石川県七尾市で、地域の生産者や事業者と関わりながら、
地域の仕事をつくる社会人インターンの募集を見つけた。

街づくりを仕事にするとは、どういうことなのか。
それを知りたいと思った。

「会社に半年くらい休職できないですかって聞いたら、
ダメって言われて。辞めるしか選択肢がなかったですね。」

退職後、石川県七尾市へ。

そこで携わったのは、地域の生産者がつくる米や野菜、加工品を、
インターネットで販売するプロジェクトだった。

「街のことを仕事にしていくのは、
すごい特別なことだと思っていたんです」

けれど、実際にやってみると、街づくりは思っていたよりも、ずっと日常の仕事に近かった。

地域のものをどう届けるか。どうやって仕事をつくるか。

「地道な取り組みを、ちゃんと積み重ねていく。
それは結局、僕らがやっている実業とあんまり変わらない」

街との関わりは、
何か特別なことから始まるわけではない。

名古屋の街を学びの場にするNPO法人・大ナゴヤ大学の玄関先の案内。

七尾から戻った後は、
職業訓練校でWEBプログラミングを学びながら、
大ナゴヤ大学事務局の仕事を引き受けた。

2017年には、理事長に就任。

本人が望んで手を挙げたわけではない。

前の理事長が退任し、代表を交代する必要が出てきたとき、
実務のほとんどを担っていたのが大野さんだった。

「気づいたらなってた。他にいなかったので。」

大野さんは、あっさりと答えた。


情報より、体験を


大ナゴヤ大学事務局に掲示された名古屋市の文化事業『やっとかめ文化祭』のポスター。

理事長になってから、大野さんが取り組んだのは、
整えていくことだった。

「大ナゴヤ大学が何のためにあるのか、
言葉や理念がなかったので。そこを整えていきました」

その過程で関わるようになったのが、
名古屋市の文化事業「やっとかめ文化祭」だった。

自分たちで企画し、人に会い、街を歩く。
そうした経験を重ねる中で、
これまで知らなかった名古屋の姿にも出会っていった。

からくり時計の仕組み。

かつて遊郭があった場所。

お堀の中を走っていた瀬戸電。

何気なく歩いているだけでは見えない、
街の小さな物語があちこちにある。

そうした街の話を、大野さんは大学の先生からだけでなく、地元の歴史を自ら調べ、
SNSで発信している人たちからも集めてくる。

そこには、大野さん自身の知的好奇心がある。

大ナゴヤ大学事務局で資料を広げ、名古屋の街や歴史について語る理事長・大野嵩明さん。

「本を読んだり調べたりするのは、
そんなに苦じゃないんです」

そう言って、
本棚から名古屋の歴史に関する一冊を取り出した。

自分が面白いと思って調べたことが、
誰かが街を知るきっかけにもなっていく。

もちろん、必ずしも多くの人に届くとは限らない。

「面白いと思っても、人が集まらないこともある。
どうしらいいんだろう、っていうのは常に抱えています」

知ることと、それを誰かに届けること。
その両方を、今も試行錯誤している。


知れば知るほど、難しい


名古屋・大須の赤門。寺町の歴史と多様な文化が残る大須の街並み。

大ナゴヤ大学の事務所がある、大須。

日頃から過ごしている街だが、大野さんは最近あらためて、「大須ってすごい街なのでは」と感じているという。

大須はもともと、寺の集まる町だったという。

名古屋城の南側に、寺町として整えられた土地。

やがて寺は敷地の一部を貸し出すようになり、
そこに映画館ができ、劇場ができ、
電気街ができていった。

寺町として始まり、今は多様なカルチャーが混ざり合う。
一つの街の中に、いくつもの楽しみ方がある。

名古屋を一言でいうとどんな街か尋ねると、
大野さんは少し考え込みながら、「難しい」と答えた。

名古屋城を中心とした城下町。

それより古い熱田神宮。

さらに古い志段味の古墳群。

どこを起点にするかで、
街の見え方はまるで変わってしまう。

「ちっちゃい特徴的な街の集合体。
それぞれに歴史がめちゃくちゃあるんです」

「知れば知るほど、難しい」

区の名前ひとつにも、その土地の歴史が隠れている。

大野さんが例に挙げたのは、昭和区だ。

「もともと昭和区も、御器所区にしたかったはずなんです」

けれど、隣の村との合併をめぐる中で、
当たり障りのない「昭和区」という名前になった。

大ナゴヤ大学事務局の本棚に並ぶ名古屋の歴史や地域文化に関する本。

その背景には、地域ごとに異なる歴史や、
土地へのアイデンティティがある。

小さな地域がいくつも重なり合っているからこそ、
名古屋は一言では語れない。

そんな話をする大野さんは、どこか楽しそうだった。


終わりのない、街で


取材の合間、大須を少し歩いた。

事務局から歩いてすぐのコメダ珈琲は、
大野さんの行きつけだという。

頼むのは、いつもミルクコーヒー。

「ここでしか、新聞とジャンプを読まないんですよ」

少し照れくさそうに笑いながら、
大野さんが教えてくれた。

昼ごはんは、味噌煮込みうどんの「浅ひろ本店」へ。

途中、ゲームセンターや店が並ぶビルの1階の通路で、

「ここ、万松寺の参道なんですよ!」

大野さんがふと笑いながら教えてくれた。

名古屋・大須の万松寺の参道を歩く大ナゴヤ大学理事長・大野嵩明さん。

何度も歩いてきた大須の路地を、
慣れた足取りで進んでいく。

参加者から届く声で、嬉しいのはどんなものかと聞くと、
大野さんは少し考えてから答えた。

「新しく知れて良かった、って言葉ですね」

長く名古屋に住んでいても、
知らなかった場所や歴史がある。

参加することで、「名古屋の街、楽しい。もっと知りたい」につながっていく。

最近、大野さんが気になっているのが
「清洲越し」だという。

かつて、清洲から人や職人、お寺まで、
街ごと名古屋へ移された。

「街ごと引っ越すって、すごくないですか?」

「街は、誰かが作ってきた積み重ねの中で、
今ここに自分がいるってことに気づいたんです」

「まだ知らないことが多すぎて、手が回らないです」

名古屋・大須の街に立つ大ナゴヤ大学理事長・大野嵩明さん。

その表情には、
まだまだ知りたいという好奇心が浮かんでいた。

その続きを、大野さんは今日も歩いている。

知ることに、終わりはない。


大野 嵩明(おおの・たかあき)
NPO法人 大ナゴヤ大学 理事長。名古屋市西区出身。大学院修了後、名古屋の投資会社に勤務。その後、石川県七尾市での社会人インターンなどを経て、大ナゴヤ大学の事務局へ。2017年より理事長を務める。名古屋のまちを舞台に、人や文化、歴史と出会う「学びの場」をつくり続けている。

ホームページ: https://dai-nagoya.univnet.jp/
Instagram: @dainagoya

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Natsuki

名古屋在住20年以上。お酒とコーヒー、そして笑いのある日常を大切にしている。子育てをきっかけに、長く暮らしてきた名古屋の別の表情が見えるように。人の価値観に触れ、世界が広がる瞬間が好き。Tewatashiプロジェクトでは、名古屋の何気ない瞬間を拾い上げ、人と場所のつながりを表現していきたい。

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