名古屋の街を、そっと記録する。

Local Stories and Daily Life from Nagoya

KOTONOHA

Grains de café・三冨由杏子さん ー 一滴ずつ、自分だけの一杯を

一杯のコーヒーが、
日常の外側へ連れ出してくれる

ブラックで飲む人も、砂糖やミルクを入れる人も、
自分で豆を挽いて淹れる人も、お気に入りの店がある人も。

その楽しみ方は人それぞれで、どれも正しい。
朝の目覚ましや食後の一服、仕事の合間に、
運転や友人との語らいのそばに。

その存在が日常に欠かせないという人も多いだろう。
けれども、この店のコーヒーは、そのどれとも違っている。

一杯のコーヒーが、日常の外側へ連れ出してくれるような、
不思議な引力があるのだ。

Kotonohaのロゴ
「Grains de café」のカウンターで、一杯ずつハンドドリップする店主・三冨由杏子さん。

言葉をすくい取り、
手渡していく──

Kotonohaでは、名古屋に息づく
人の声や温度を通して、
街の輪郭を静かに描いていきます。

屈託のない笑顔を見せながら、
慣れた手つきでドリップポットを傾ける。

注がれる湯は、こんもりと盛られたコーヒー粉に
一滴、また一滴と、静かに浸み込んでいく。

店内に立ち込めるのは、
嗅ぎ慣れたそれとはまるで違う、奥深く華やかな香り。

名古屋の街の片隅で、自由気ままに、
けれど誰よりも妥協なくコーヒーと向き合い続ける三冨さんが
その「こだわりの一杯」にたどり着くまでの物語。


人生を変えた、コーヒーとの出会い


「Grains de café」のハンドドリップ。ペーパーフィルターにセットされた挽きたてのコーヒー豆。

三冨さんの経歴は、およそ一言では語りきれない。
大学の芸術学部で演劇の演出を学び、

就職氷河期をくぐり抜けて大手外食チェーンへ就職。

その後はテレビ局報道部へ転職し、
タイムキーパーやディレクター、アシスタントプロデューサーと、
いくつもの現場を経験。さらには法律事務所、
病院の医師事務まで、さまざまな世界を渡り歩いてきた。

「決まった型にはまるのが苦手で、
普通のことがなかなかできない」

冗談交じりに話す三冨さん。
旺盛な好奇心と、どんな波も乗りこなしてしまう器用さを
併せ持っているのかもしれない。

名古屋・昭和区「Grains de café」で提供されるハンドドリップコーヒー。白いカップと皿に注がれたブラック

そんな彼女が、
コーヒーという底なしの沼に出会ったのは、
今から約10年前のこと。

「テレビ局の仕事の合間に知り合いのカフェを手伝っていて、
そこの常連さんに『すごいコーヒー屋がある』って教えてもらったんです」

当時はコーヒーが苦手で、
ブラックコーヒーはとても飲めなかった。

「でも、そう聞いたからには、まずは行ってみようと思ったんです」

訪れたのは、大須のブラックコーヒー専門店。
出されたコーヒーに、恐る恐る口をつけた。
「えっ、何これ?って。飲んだ瞬間、ものすごい衝撃でした」
気づけば苦手なはずのブラックコーヒーを飲み干していた。


自分で淹れてみたい
そう思ってしまった


名古屋・昭和区「Grains de café」店主の三冨由杏子さん。カウンターでハンドドリップコーヒーを淹れる様子。

「美味しかった」で終わるはずだった。
けれども、胸に湧き上がったのは、
自分でも予期しない衝動だった。

「お店を開きたいとか、そういうのじゃなくて。
ただ純粋に、『このコーヒーを自分で淹れてみたい』
と思ってしまったんです」

その日から、店へ通い詰めた。

想いを抑えきれなくなったある日、マスターに
「このコーヒーを淹れられるようになりたい」と打ち明ける。
返ってきたのは、予想外のあたたかい言葉だった。

「本気でやりたいなら、1 日 30 分でも 1 時間でも教えてあげるよ」

そこから、修行の日々が始まった。
仕事が終わると大急ぎで店へ走り、
閉店前のわずかな時間にカウンターへ滑り込む。
最初に課されたのは、ドリップの基礎練習。

真ん中に穴を開けたペーパーフィルターをセットして、
周りの紙を濡らさないように、中心へ一滴ずつお湯を落としていく『点滴ドリップ』だ。

「Grains de café」のハンドドリップ。ドリップポットからコーヒー豆へゆっくりとお湯を注いで抽出する様子。

「1投目で紙を濡らしてしまうと、お湯が豆を通らず外へ逃げてしまいます。だから、これをブレずに1分間続けられるようになるまで、ひたすら練習しました」

家でもドリップポットを握りしめて
自主トレを重ねる日々。

常連客の前に自分が淹れた一杯を出せるようになるまで、丸1年。

ドリップの技術を、身体に叩き込んでいった。


試行錯誤から生み出した
「水出しコーヒー」


コロナ禍によって、日常の景色が一変した頃。
「自分で何かを始めなければ」と模索していた三冨さんは、
知人から「コーヒーを淹れて持ってきてほしい」と頼まれる。

けれども、ドリップした温かいコーヒーは、
時間が経つと冷めて味が落ちてしまう。

持ち運んでも美味しい状態で
飲んでもらうにはどうしたらいいのだろう?

「そう考えた末に、たどり着いたのが『水出しコーヒー』でした」

名古屋・昭和区「Grains de café」で、店主・三冨由杏子さんが水出しコーヒーをワイングラスに注ぐ様子。

師匠から学んだドリップとは違い、
水出しはゼロからの独自研究。

ミネラルウォーターを買い集めて
片っ端から飲み比べる「利き水」を行い、
軟水・硬水や pH 値による味の出方を徹底的に検証した。

豆の挽き具合や粉の配合量、抽出温度、抽出時間、
何十通りもの実験を繰り返す日々。

名古屋市昭和区にあるコーヒー店「Grains de café」の外観。街中の建物1階にある小さな店舗。

出来上がったボトル入りの水出しコーヒーを手渡すと、
「また買いたい」と熱烈なファンがついた。

2020年7月、今池のカフェを間借りして営業を始めた。

ワインのように香りを楽しむ
水出しコーヒーのテイスティングのスタイルを確立し、
2年半を経て現在の拠点を構えた。


美学はひとつ。「雑味を出さない」こと


「コーヒーって、こういうもの」

そんな思い込みを、
三冨さんのコーヒーはあっさりと覆す。

カウンターに置かれた、
大ぶりなブルゴーニュ型のワイングラス。

「まずは香りをかいでみてください」

促されるままにグラスに鼻を近づけると、
立ち上るのは完熟したピーチやチェリーの甘み、
あるいは高貴なダージリンティーのような華やかさ。

口に含めば、みずみずしい果実感が広がり、
「これ、本当にコーヒー!?」と思わず声が漏れる。

師匠直伝のドリップへのこだわりも、やっぱりすごい。

一般的なコーヒー店の約2倍もの豆を使い、
一滴ずつ湯を落としながら、
立ち上る水蒸気でじっくりと豆を蒸らし、
コーヒーを抽出していく。

三冨さんが徹底しているのが、
「最後の一滴まで落とし切らない」こと。

「もったいないからと最後まで絞り切ってしまうと、
雑味が混ざってしまう。だから美味しいところだ
けを抽出したら、潔く外しています」

深煎りのどっしりした苦味も、
浅煎りの瑞々しい酸味も、
正しく淹れれば驚くほどクリアで美味しくなるという。

「私のテーマは、最後の一滴まで一切の雑味がないコーヒーをお出しすること。それだけは絶対にブレません」


日常の外側へ連れ出してくれる、
5席の特等席


名古屋・昭和区「Grains de café」で使用する深煎りのコーヒー豆。白い皿に並べられた焙煎豆。

三冨さんのコーヒーへの探求心は、尽きることはない。

各地へ足を運び、面白そうな豆を見つけては、
「私が美味しく淹れてあげるね」と連れて帰る。

彼女が一杯に注ぐのは、職人技以上の深い愛情なのかもしれない。

「予約優先・不定休」という一見自由気ままなスタイルを貫くのは、訪れてくれたお客さん一人ひとりと、一杯のコーヒーに真正面から向き合いたいから。

「師匠から『淹れ手の気持ちやコンディションは全部コーヒーに映る』と教わり、本当にその通りだと思うんです」

納得のいくコーヒーが淹れられないと思った日は、
潔く店を閉めることもあるという。

「Grains de café」のカウンターで、お客さんと会話する店主・三冨由杏子さん。5席の小さな店内でコーヒーを楽しむ様子。

この店の特等席は、わずか5席のカウンター。

一滴ずつ静かにコーヒーが淹れられていく所作を眺めながら、
豊かな香りに包まれて、今か今かと自分のための一杯を待つ。

差し出されたカップに口をつけると、
今まで知らなかったコーヒーの世界へと連れ出される。
そこには、いつもワクワクするような驚きと発見があるのだ。

コーヒー談義に始まり、
いつしか仕事や人生の悩みまで打ち明けていく常連客。

酸いも甘いも噛み分けてきた三冨さんの軽妙なトークに引き込まれ、気づけば 2 時間、3 時間と時が流れていく。

流行りに乗ってたくさん人を呼びたいわけじゃない。

知る人ぞ知る隠れ家でいい。

「自分だけの一杯を見つけていただいたり、コーヒーが苦手だった人が『ここなら飲める』と言ってくださったり。そういうささやかな出会いがひとつでもあれば、それで十分」

今日もこのカウンターで、
彼女は一滴一滴に愛情を注ぎながら、
尽きることのないコーヒートークとともに、
こだわりの一杯を手渡している。


三冨由杏子
名古屋市昭和区のコーヒー店「Grains de café」店主。芸術学部で演劇演出を学んだのち、大手外食チェーン、テレビ局の報道制作、法律事務所など多彩な業界を経験。かつてはストレートコーヒーが苦手だったが、名店の一杯に衝撃を受けて弟子入りし、修行を積む。コロナ禍を機に独自の水出しコーヒーを研究・開発し、間借り営業を経て独立。「最後の一滴まで雑味を出さない」美学を貫きながら、訪れる人々の心に寄り添う特別な一杯を手渡している。

Grains de café 名古屋市昭和区広路町隼人1−4 (予約優先・不定休)
Instagram: @grains_de_cafe

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Mai Shibayama

燃えるような情熱や、不器用なやさしさ、胸の奥でくすぶっているくやしさ。そんな愛すべき思いたちを、言葉にして手渡せたらうれしいです。

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