Local Stories and Daily Life from Nagoya
喫茶ミハル 伊藤邦一さん ─ 昭和34年から、名古屋・笠寺とともに歩んできた喫茶店

変わっていくことは、
悪いことではない。
後ろからずっと見守っている。
伊藤 邦一
赤いテント屋根。
レトロな曲線を描く、大きな窓。
店先には、金髪とクールな立ち姿、
ちょっぴり澄ました表情が
印象的なキャラクターが佇んでいる。
「喫茶ミハル」は笠寺の街を、
昭和34年から静かに見守り続けてきた。
名鉄線の走る音が、ときおり店内にも届く。
笠寺は、名古屋でも珍しい
名鉄線沿いに残る門前町だ。
長く伸びる影。ゆったりとした時間。
コーヒーの香り漂うこの場所で、
この街の記憶が静かに積み重なっている。


言葉をすくい取り、手渡していく──
Kotonohaでは、
名古屋に息づく人の声や温度を通して、
街の輪郭を静かに描いていきます。
今回は、南区笠寺商店街にある
「喫茶ミハル」の店主、伊藤 邦一さん。
現在は息子の修平さんとともに、
二人三脚で店を切り盛りしている。
この店が生まれた当時、邦一さんはまだ小学生だった。
父が一代目として店を始めた昭和30〜40年代。
笠寺の街は、今とはまるで違う表情をしていた。
賑わいに満ちた時代も、静けさに包まれた時代も。
そしてこれからも——
伊藤さんの言葉を通して、
笠寺という街の輪郭が静かに浮かびあがる。
人が交わる、街だった

名鉄本線「本笠寺駅」。
豊橋、岡崎方面からやって来る人が次々と降り立ち、
そこから市電(路面電車)へと乗り換えていく。
通勤する人、通学する学生たち。
名古屋市内の文教地区へ向かう途中で、
人々は必ずこの街を通った。
笠寺は交通網の重要な経由地点であり、
いつも人の気配が消えない街だった。
「朝と夕方は社会人や学生の足が絶えなくてね。
昼は商店街に買い物客がやって来たし、
百貨店もあって困ることはなかった。
ボウリング場や映画館もあったんだよ。」
邦一さんは思い出話に花を咲かせながら、
ふと席を立ち、
店の奥へと写真を探しに消えていった。

店内には暖かな照明の色が広がっていて、
重厚なつくりの木目を柔らかく照らしている。
かつては買い物帰りの人や、
駅前の名鉄ビルを訪れた取引先の人たちが、
安らぎを求め、この店のソファーに腰を下ろした。
時には、お見合いの場として
使われることもあったという。
邦一さんの淹れるコーヒーの湯気の向こうで、
現在までに様々なストーリーが
静かに交わされてきたのだろう。
しばらくして戻ってくると、「あったあった」と、
どこか少年のような表情で写真を差し出す。
その嬉しそうな顔が、とても印象的だった。

「名古屋まつりも、今とはまた違う活気があったよ。
名古屋城を模した山車を、
町内の青年部が担いで笠寺から練り歩いてさ。」
祭りの日は市電も止まり、
店も営業中止になるほどだったという。
「とにかく街全体で祭りを
楽しんでいるって感じだった。」
手持ちの写真からは、
賑わった笠寺の街の様子が伺える。
邦一さんはその一枚一枚を大事そうに、
そっと指を添えて眺めていた。
一度、笠寺を離れた

そんな邦一さんだが、
大学進学を機に東京で4年間を過ごし、
一度はこの街を離れたことがあった。
勉強とアルバイトに明け暮れた日々は、
決して嫌いではなかった。
けれど、帰省のたびに
東京へ戻る新幹線の窓から見える、
スモッグに覆われた灰色の都会の空。
当時の東京は公害が酷かったこともあり、
その景色を見るたびに
「ここは自分のいる場所ではない。笠寺に帰りたい。」
と強く感じていたという。
「笠寺に戻ると決めたとき、
東京育ちの友人に言われた
言葉が今でも印象に残っていてね。
“故郷や帰る場所があるって、
すごく羨ましいことなんだ”って。」
一度外の世界を経験したからこそ、
この街に戻ってきた時に、
その言葉の意味がすっと腑に落ちた。
旧東海道の面影が残る笠寺の街並みや、
どこかやわらかな空気感。
名鉄線の走る音、門前町としての独特な匂い。
それらが全て、
自分にとってかけがえのないものだったと
改めて気づかされたのだ。
人の流れが、少しずつ変わっていった

22歳の頃、邦一さんは
「喫茶ミハル」の二代目として
店を受け継いだ。
しかし、その頃から街の空気は
少しずつ変わり始めていた。
1974年、長く市民の足として
親しまれてきた市電がついに廃止された。
自動車の普及が進み、
近代化の流れのなかで路面電車は
その役目を終えることになったのだ。
レールをきしませる音、
朝夕忙しなく行き交っていた
学生や通勤者たちの姿。
それらはある日を境に、
ぱたりと消えてしまった。
とはいえ、80年代の商店街にはまだ活気が残っていた。
70年代ほどの勢いはないにしても、
人々の生活はこの街に根づいたままでいた。
ミハルちゃんが、生まれた

そんな頃、転機が訪れる。
「42、3年前にビルの建て替えがあってね。
その際、広告宣伝会社の社長から
“店のマスコットキャラを作ってみないか?”って
提案されて。そこで生まれたのが、ミハルちゃん。」
その提案は、見事に大当たり。
「喫茶ミハル」と聞けば、
街の人はすぐにミハルちゃんの姿を思い浮かべる。
それほどまでにミハルちゃんは、
この街の日常に自然と溶け込んでいったのだ。
そんな頃、
邦一さんは、笠寺観音商店街の理事長として、
街そのものを支える側へと歩みを進めていった。
市や県の商店街振興組合連合会の活動を通じて、
周辺の商店街との輪は少しずつ広がっていき、
その繋がりは邦一さんにとって、
大きな財産の一つとなっていった。
「仕事も商連の活動も、
大変だったけど本当に楽しかったよ。」
ふっと、目元を柔らかく細めながら、
邦一さんは当時を振り返った。
それでも、静けさは深まっていった。


けれど、
街の賑わいは少しずつ、
その輪郭を失っていく。
80年代後半から90年代初頭。
笠寺周辺にも大型チェーンや量販店が増えはじめ、
94年には地下鉄桜通線の今池・野並間が開通した。
個人店やユニー、スガキヤ、市場といった
顔なじみの店々が、次第に姿を消していった時期だ。
「当初は、笠寺を通る案だったんだけどね。
そうすると、お客さんが栄や名古屋駅に
流れてしまうからと、
商店街からも反対の声が上がっていたよ。」
最終的に、地下鉄は笠寺を通らなかった。
桜本町から鶴里、野並へと抜ける
現在のルートに落ち着き、
笠寺は路線から少し外れた場所に
取り残されることになる。
「それが良かったのか、
悪かったのかはわからない。
もし地下鉄が通っていれば、
消えてしまう街並みもあっただろうし、
今とは違う街の姿があったのかもしれない。」
正解のない問いだ。
ただ、人の流れが変わると、
街の空気も変わってしまう。
かつて賑わいを見せていた笠寺観音商店街も、
次第に人影がまばらになっていった。
シャッターが一つ、また一つと下ろされていく。
やがて笠寺の活気は、
人々の記憶の中へと静かに眠っていった。
変わっていくことは、
悪いことではない

それから長い間、笠寺の風景は変わらぬままだった。
シャッターの下りた店が並ぶ商店街。
時折、名鉄線の走る音だけが響く。
けれどここ数年。
この街にようやく、
小さな動きが芽生え始めている。
かさでらのまち食堂、
かさでらのまち編集室、
かさでら図書館などが立ち上がり、
古い建物をリノベーションした、
本屋やコーヒースタンドも生まれた。
笠寺のレトロな空気や門前町としての文化を
守りたい人々が、少しずつ動き出したのだ。
「変わっていくことは
悪いことではないと思う。」
笠寺観音商店街の理事を
長年務めてきた邦一さんも、
次の世代へとバトンを渡す時がやってきた。
「僕はね、今の理事長に役を託すとき、
ひとつ約束をしたんだよ。
“これから君がやろうとすることに、
僕は一切口出しはしない。
ただ後ろからずっと見守っている。”ってね。」
「昔の笠寺を語れる人は、
どんどん亡くなっていってしまってね。
そうなると、自分が”最後の生き残り”みたいな
気持ちになることもある。
でもね、過去ばかりを伝えたいと
若い人に押し付けるのは、
おこがましいことだとも思うんだよ。」
どこか遠慮がちに語る邦一さん。
けれどその思いは、
息子の修平さんにも静かに届いている。
デザインの仕事をしてきた修平さんは、
「かさでらのまち編集室」として
昔の笠寺の景色や思い出を聞き取り、
フリーペーパーとして記録を残す活動を続けている。


店のカウンターでは、
父と息子が並んで立つ姿がある。
口数が多いわけではない。
けれど、その呼吸は自然と合っている。
「一緒にできることが、嬉しいんだよね。」
邦一さんは少し照れくさそうに、そう言った。
言葉少なに、しかし確かに、何かが受け継がれていく。
消えて欲しくないものも、ある

「変化は必要なことだと思っている。
けど、消えて欲しくないものもあってね。
旧東海道の面影や、一里塚、笠寺観音……。
この街独自の風景や空気感。
それは残し続けて欲しいと願ってるよ。」
新しく便利になることと、
本来の価値を守ること。
その両立を、邦一さんはずっと考えてきた。
「僕にとって大事なことは、
地域の人たちにとって笠寺が
住みやすい街であること。
ゆったりと心豊かに生活するために、
この風景は必要だと思っている。」
賑わいの時代も、静けさの時代も、そしてこれからも。
ここに住む人たちが「故郷」と呼べる風景は、
変わらず残っていてほしい。
東京での生活を経て笠寺に戻った
邦一さんだからこそ、
その思いは深い。

笠寺駅の周辺を歩いていると
どこからか珈琲のいい香りが鼻をかすめる。
名鉄線の走る音が、遠くから聞こえてくる。
その香りと音に誘われるように視線を上げると、
目を惹く赤いテント屋根と、
今日もちょっぴり澄ました顔の女の子。
そんな風景も、
これから街に根付いていく若者たちにとって、
「懐かしい」とほっと一息つける場所であってほしい。
静かな継承の中で、
笠寺は今日もゆっくりと、
新たな時代を重ねていく。
伊藤 邦一(いとう・くにかず)
「喫茶ミハル」二代目店主、77歳。昭和34年、父が一代目として笠寺に店を開く。大学進学を機に東京へ。22歳で笠寺に戻り、店を継ぐ。笠寺観音商店街の理事長を長年務め、街の発展に尽力。現在は息子の修平さんとともに店を切り盛りしながら、次世代へ想いを静かに手渡している。
喫茶ミハル 〒457-0051 名古屋市南区笠寺町西之門 53-2