名古屋の街を、そっと記録する。

Local Stories and Daily Life from Nagoya

KOTONOHA

大久手山本屋・青木裕典さん、晃佑さん ー 一杯の味噌煮込みうどんから、名古屋を、もっと遠くへ。

もう一伸びしないと、次の100年はない

名古屋・大久手に店を構える、
大久手山本屋。

土鍋のふたを開ければ、
ぐつぐつと煮立つ味噌煮込みうどん。

100年続いてきた店を、5代目となる兄弟が担っている。

「たくさんの人に、うちの美味しいうどんを食べてほしい」

その思いから、ダイバーシティ対応、
フランチャイズや海外出店など、
一つずつできることを増やしてきた。

外の世界に出たからこそ、改めて見えてきたものがある。

山本屋の味を届けることは、名古屋を知ってもらうこと、
名古屋を改めて見つめることにもつながっていった。


Kotonohaのロゴ
コンロに並んだ土鍋で煮込まれる山本屋大久手の味噌煮込みうどんと、菜箸を持つ手元

Kotonohaでは、名古屋に息づく人の声や温度を通して、
街の輪郭を静かに描いていきます。

今回お話を伺ったのは、
名古屋・大久手で100年以上続く
味噌煮込みうどんの老舗「大久手山本屋」の5代目、
兄・青木裕典(ひろのり)さんと、
弟・晃佑(こうすけ)さん。

冗談を交わし、笑い合いながら、
家業のこと、海外での苦労、そして名古屋への思いを
たっぷりと話してくれた。

二人の歩みをたどりながら、
一杯のうどんから広がっていった世界と、
その先に見えてきた名古屋のこと、
そして次の100年への思いを聞いた。


「山本屋の息子」として生まれて


大久手 山本屋の暖簾。淡い緑の生地に墨文字の屋号

生まれた瞬間から、うどん屋の子どもだった。

工場の粉袋に座って祖父母の仕事を見て育ち、
小さい頃からずっと味噌煮込みを食べてきた。

友人からは「山本君」と呼び間違えられたという。

「1万回は間違えられてます」

そう言って、2人は笑う。

けれど、「山本屋の息子」として見られることを、
いつも素直に受け入れられたわけではない。

「山本屋って聞くとめっちゃでっかく見えるけど、実体は違うと感じてたので」

「僕は僕じゃん、と思っていたこともあった」

そう見られ続けることに、
複雑な思いを抱えていた時期もあったという。

今では、そんな話もあっけらかんと話す。

二人は冗談を交わしながら、互いの話に相槌を打つ。

「こう見えて仲良いんですよ」

晃佑さんは、いたずらっぽく笑った。

家業を継ぐことが、最初から決まっていたわけではない。

両親には「きついから」と止められたが、
弟・晃佑さんは18歳で、うどん職人の道を選んだ。

「辞めたいと思ったことは1万回ぐらいありますよ」

苦笑いを浮かべながら、冗談まじりに語る。

決して楽な道ではなかったという。

兄・裕典さんは、
ECや商社など山本屋の外の世界へ出た。

さまざまな経験を積んだのち、
山本屋にも勝機があると確信して戻ってきた。

コンロに並び、ぐつぐつと煮立つ3つの土鍋の味噌煮込みうどん

外の世界を知る兄と、店と味を知る弟。

違う道を歩んできたからこそ、
見えているものも違った。

「僕一人でも無理、兄一人でも無理なんです」

晃佑さんは、まっすぐにそう話した。

それぞれの場所で積み重ねてきたものが、
少しずつ交わり始めた。


「うちのうどんを広げたい」から始まった挑戦


打ち粉をまとった手打ちうどんの麺を手に取る職人の手元

「うちのうどんはこんなに美味しいのに、なぜもっと広がらないのか」

その想いから、二人はECサイトでの販売やイベント出店、
フランチャイズや海外出店へと進んでいった。

これまで感覚でつくっていたレシピや味を言葉にし、
マニュアル化し、店の味を、誰かに受け渡せる形に整えていった。

コロナ禍で生まれた時間も、
仕組みや味をブラッシュアップする時間に変わった。

もちろん、うまくいったことばかりではない。

キッチンカーやイベント出店は、
試行錯誤の連続でほとんど利益が出なかった。

「あれもいい経験でしたけどね」

二人は顔を見合わせて笑った。

そんな挑戦の一つが、
ハラールやヴィーガンへの対応だった。

きっかけは、裕典さんが商社時代、出張先で見た光景だ。

ムスリムの来場者だけ、
弁当の選択肢が連日インドカレーのみだった。

夕飯はどうしているのか尋ねると、
持参したカップラーメンを食べているという。

「せっかく日本にいるのに、
こんなにかわいそうなことがあるのか」

その光景が、心に残った。

学生時代から親しんできたヒップホップやレゲエの世界でも、
宗教や文化的な理由からベジタリアンを選ぶ人が多かった。

「18億人のムスリムと5億人のベジタリアン。
どれだけ美味しいものを作っても、
この24億人に食べてもらえないなら、ここを超えなきゃいけない」

裕典さんは、そう話す。

実際に対応を進めていく中で、
二人の視点も少しずつ変わっていった。

ハラールやヴィーガンだけではない。

目が見えない人のための点字メニューや、グルテンフリーへの対応。

「さまざまな人が、美味しくうどんが食べられるようにする」

そのためにできることを、一つずつ形にしていった。

「あくまでうちがやっているのはハラールじゃなくて、ダイバーシティなんですよ」

目の前にいる「食べられない人」を、一人ずつ減らしていく。

「先代の頃にこの攻め方をしていたら、逆に潰れていたかもしれない」

そう振り返る二人の言葉からは、
時代が変わったからこそ、
できるようになったことが見えてくる。


海を越えて見えた、名古屋のこと


海外への想いを、裕典さんは2017年にはすでに言葉にしていた。

初めての香港出張。

香港エクスプレスの機体に描かれた「讃岐うどん」の文字を見て、
「この文字を味噌煮込みうどんに変えたい」
とFacebookに投稿していた。

「これ、エモいでしょ!」

無邪気に笑いながら、遡って投稿を見せてくれた。

実際に香港に1号店を出したのは、2023年。

いざ始めてみると、想像していた以上の壁があった。

「日本の味を、そのまま持っていけばいい」

最初は、そう思っていた。

けれど、味の感覚も、文化も、人との関わり方も違う。

「全然ダメでしたね」

晃佑さんは苦笑いしながら語った。

当初、口コミは散々だった。
現地スタッフとの関係も、一筋縄ではいかない。

晃佑さん自身が約1年滞在し、味を調整し、
スタッフやパートナーとの関係を築きながら、店をつくっていった。

「結果を出さないとって必死でしたね」

「めちゃくちゃ痩せましたよ」

そう言って、晃佑さんは笑う。

香港の山本屋大久手1号店オープン時の集合写真。祝い花と鏡開きの樽の前に立つ5代目兄弟と関係者

1号店が軌道に乗り、2号店、3号店と経験を重ねるにつれ、
少しずつ形になっていった。

海外の人と接する中で、思いがけない気づきがあった。

「名古屋をナゴヤと読むことを知らずに、現地の言葉で呼んでたんですよ」

東京、大阪、福岡、北海道は知っていても、名古屋を知らない。

そこで始めたのが、
味噌煮込みうどんを食べてもらうだけではない取り組みだった。

名古屋の歴史を話し、
山本屋の100年の歴史を伝え、一緒にうどんをつくる。

食べることを入口にして、その土地のことまで知ってもらう。

うどんを届けるために海外へ出たはずが、
改めて「名古屋」という街を見つめることになった。


名古屋を、もっと語れる街へ


木の盆にのせた山本屋の土鍋。屋号入りのふたと黒いれんげ

名古屋には、味噌煮込みうどんをはじめ、
さまざまなご当地グルメがある。
変わった名物を、臆面もなく作ってしまう勢いもある。

けれど、裕典さんが感じていたのは、
名古屋の外に向けて伝えることだけではなかった。

名古屋の人自身が、名古屋のことをあまり知らない。

「例えば、熱田神宮の価値ってものすごいのに、語れる人が少ないんですよね」

「名古屋の人が名古屋を熱く語れる人間を増やすことが一番大事」

そう真剣な表情で語る。

100年前、名古屋の人口は約60万人だった。
今では220万人を超える街になった。

けれど、これから人口は減っていく。

海外に出たことで見えてきたのは、
山本屋のことだけではなかった。

自分たちが暮らし、商売をしてきた「名古屋」という街を、
これからどう伝えていくのか。

その問いもまた、二人の中に生まれていた。


その一杯を、次の100年へ


卵と油揚げがのった、ぐつぐつと煮立つ土鍋の味噌煮込みうどん

味噌煮込みうどんは、愛知の味噌や醤油、
だしを使ってできている。

山本屋は、愛知の醸造文化を支えるレストランでもありたいという。

「愛知の味噌蔵って、倒産件数が少ないんですよ」

「でも、田舎に行くと、味噌蔵や醤油蔵がめちゃくちゃ潰れちゃっている」

そこで生まれたのが、地域の醸造文化を支えたいという考えだった。

沖縄なら沖縄の味噌や出汁。
福岡なら福岡のもの。

その土地にあるものを使えば、
その土地ならではの「味噌煮込みうどん」ができる。

そこから考えているのが、「街煮込みうどん」という構想だ。

47都道府県、それぞれの土地の味噌や醸造文化を使って、
その地域ならではの一杯をつくる。

うどんを広げることが、
その土地の醸造文化を支えることにもつながる。

「これはずっと言ってるよね。実現させたい」

二人は楽しそうに、そう話す。

名古屋の味を守るだけではなく、
各地の食文化へ目を向けていく。

山本屋は、101年目を迎えた。

先代、先々代が守ってきたものを受け取った5代目の二人は、
次の100年を考えている。

「もう一伸びしないと、次の100年ないよね」

その思いは、今も変わらず二人の中にある。

「次世代に続く山本屋を作っていきたいです」

一杯の味噌煮込みうどんを、もっと多くの人へ。

名古屋を、もっと遠くへ。

その土地にある食文化を、次の世代へ。

5代目の二人が見つめているのは、
そんな一杯の、その先だ。


大久手山本屋 愛知県名古屋市千種区大久手町5丁目9−2
ホームページ: https://a-yamamotoya.co.jp

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Natsuki

名古屋在住20年以上。お酒とコーヒー、そして笑いのある日常を大切にしている。子育てをきっかけに、長く暮らしてきた名古屋の別の表情が見えるように。人の価値観に触れ、世界が広がる瞬間が好き。Tewatashiプロジェクトでは、名古屋の何気ない瞬間を拾い上げ、人と場所のつながりを表現していきたい。

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