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焼き鳥「なかの」— 大曽根にあった酒場の記録

忘れずにいたい、あの熱気


103年つづいた焼き鳥屋が、この街から静かに幕を下ろした。

大曽根で「なかの」といえば、通りに面した焼き台と、二の字にのびる長いカウンター。

真ん中の通路をはさんで片側10席ずつくらい。

肩を寄せ合い、瓶ビール、煙、タバコ。地元の声が混ざり合う、昭和そのままの光景だった。

大曽根「なかの」のカウンターで、常連客が焼き鳥とビールを楽しむ様子。店の熱気と昭和の雰囲気を写した写真。

夫婦ふたりで切り盛りする店。
奥さんが串を焼き、旦那さんが注文をとり、飲み物をさっと出す。

無駄がなく、あっさりしていて、でもどこか優しい。
本音でまっすぐ、そんな人柄がにじんでいた。

メニューは焼鳥ともつ焼き、箸休めの野菜が少し。
ビールとサワーと焼酎、ウイスキーが数種類。

選択肢が少ないのに、足りないと思う人はいない。
むしろこの“必要最低限”が、「なかの」の粋だった。

「なかの」の焼き場で串を焼く様子。煙の中で職人が串を返す昭和の酒場らしい光景。

「なかの」で常連客がビールを手に焼き鳥を味わう様子。店の日常を切り取ったカウンター風景。


常連で満席になる平日。

初見にはハードルが高い店で、暗黙のルールが静かに息づいていた。

串は一度に2皿まで、ナンコツは二回頼めない。
破ると店主のぶっきらぼうな声が飛ぶが、それも含めて“なかのの日常”だった。

瓶ビールを頼むと、大将がやたら大げさに栓を抜く。

誰も言わないけれど、みんな心の中で少しだけ笑ってしまう、「なかの」のあるある。

閉店後の大曽根「なかの」跡地。看板が外れ、シャッターが閉じた元酒場の面影を記録した写真。

2025年10月10日。

103年の歴史に静かに幕が下りた。

「大将、お母さん、本当にお疲れさまでした」
その言葉が、煙の向こうでゆっくりと溶けていった。

最後になかのという酒場の記録は、ここに、そしてそれぞれの心の中にそっと収められる。

街はまた少し姿を変え、新しい日常と景色がこれから生まれていく。

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Taro Hori

名古屋生まれ。 メルボルン、マニラを経て、約20年ぶりに地元へリターン。 街も、自分も、すこし変わっていて。 いまは、ローカルな手触りを探しているところ。 Tewatashi Projectでは、ハイパーローカルな日常を、そっと切りとりたいです。

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