Local Stories and Daily Life from Nagoya
明山 聡一郎:「今池はおもちゃ箱」─ ごちゃまぜの街で紡がれる、人と人のつながり

今池はおもちゃ箱。
その面白さを
次の世代へつなぐ!
明山 聡一郎

ネオン街の匂いも、プロレスの熱気も、立ち飲み屋のざわめきも ──。
ごちゃまぜなのにどこか温かい。かつて「治安が悪くて怖い」と言われた今池は、いまディープな街として注目を集めている。
その今池で、人と人をつなぎ続けてきたのが、居酒屋『せんべろ元気』を営む明山聡一郎さんだ。
“今池の顔”と呼ばれる彼は、街を動かし、人に愛され、今池を盛り上げてきた。
「今池はおもちゃ箱」
その言葉には、街の面白さと奥深さがにじむ。


KOTONOHAは、“言葉をすくい取り、手渡していく”ことを主旨にしたドキュメント企画。その土地と関わりを持つ人の語りから、街の文化や記憶、においや熱を静かに浮かび上がらせていきます。
第一回の舞台は、名古屋・今池。
ごちゃまぜの街を歩き続けてきた明山聡一郎さんの言葉を通して、今池という街の輪郭が、にじみ出てくる。
雑多であたたかい、
おもちゃ箱のような街・今池

「この辺りは“子どもは近づくな”って言われていましたからね」
今では想像できない昔のとんでも話を、明山さんは笑いまじりに語る。
デイサービスを運営しながら居酒屋「せんべろ元気」を立ち上げ、今池の真ん中で輪を広げてきた。
店の壁には切り絵や似顔絵、抽象画が並び、横にはプロレスや今池祭りのポスター。
雑多なのに不思議と居心地がいいその空間は、今池そのものを映している。
「今池をひと言で表すなら──おもちゃ箱。」
面白い人もお店もごちゃまぜに詰まっているから、と明山さんは語る。



しかし、かつては一見さんが入りにくい店が多かった今池….
そこに風を通そうと始まったのが“今池レディオ”だ。
今池を愛する人たちが垣根を超えてマイクを握り、思い思いに語り合う手作りのラジオ。
飾らない言葉で語っているだけなのに、不思議とこの街の熱気が伝わってくる。
酔っ払いの笑い声もあれば、店主のぼやきもある。人情も毒も哀愁も、ぜんぶ混ざっているのが今池の魅力だ。


「もっと多くの人に今池のディープな魅力を知ってほしい。身近に感じてもらいたい」
そんな思いから生まれたラジオは、何十軒もの店を紹介するうちに横のつながりを広げ、やがて街の絆へと育っていった。今池を好んで外から移り住む人も少なくない。「大阪っぽい街といえば今池」と聞き、単身赴任先に選ぶ人もいる。
「あたたかいし人を大事にする街。居心地がいいから変な人も集まってくる。まあ、変な人は排除するけどね」
冗談まじりに話すその奥には、街のつながりを守り続けてきた確かな思いがある。
「情けで行く店にはしたくない」
障がいと地域をつなぐ場所

せんべろ元気の店内は、いつも賑やかで笑い声が絶えない。
常連も一見客も関係なく、自然と輪に加わっていく。
けれどここは、ただの居酒屋ではない。昼から安く飲める場であると同時に、障がい者の就労支援の場でもある。
きっかけは、明山さんが運営するデイサービスに通っていた小学生の「将来は飲食店で働きたい」というひと言からだった。
その子が大人になり、夢を叶える場所として店は生まれた。
夢を語った小学生は、今日もせんべろ元気で働いている。


「就労支援のお店だからといって、義理や情けで来てもらう店にはしたくなかった。楽しいから行ったら、そこがたまたま就労支援の場だった── それが一番いいと思ったんだよね。」
その原点には、全盲だった祖父の存在がある。
自宅で鍼灸院を営み、自立して暮らしていた祖父。しかし一歩外に出れば、肩を貸す明山さんに向けられるのは偏見の視線だった。
「障がいがあろうがなかろうが、一人の人間として一生懸命やっているのに、なぜ理解されないのか」
その違和感が、いまも彼を突き動かしている。
閉塞感を破り、人と人の架け橋に

明山さんの活動は、居酒屋や福祉だけにとどまらない。小学校のPTA会長を8年務め、学校と地域をつなぐ役割を果たしてきた。
始めたきっかけは、当時のPTA運営に抱いた違和感だった。
「街角パトロールで危険な場所を伝えても聞き流すくせに、お偉いさんには腰が低い。形だけの感じがすごく嫌だったんだよね。
会長就任後、学校と地域の結びつきは少しずつ変わっていった。
その象徴となるのが春岡夏祭りである。地域で続いていた盆踊りがコロナ禍で中止となり、そのまま廃止する流れが出ていたとき、
「それなら自分がやる」
そう決めて“親父の会”を立ち上げた。100人規模の実行委員をまとめ、小学校に交渉してグラウンドを借り、新しい夏祭りを作りあげたのだ。
昨年8月の夏祭りには、同級生である nobodyknows+ をゲストに迎え、世界で活躍する太鼓奏者がステージに立った。来場者は1000人を超え、夏の夜を大きな熱気で包んだ。

こうした地域とのつながりから画家や日本舞踊家が小学校で特別授業を行うなど、新しい広がりが生まれている。
「縁が交わらず縦線になっているのは、もったいない。だから自分の人脈をつなげていく。そうすると、その先で新しい縁がまた生まれる。」
純粋に「今池を盛り上げたい」「子どもたちに楽しんでもらいたい」という思いが、彼を動かしている。学校運営の風通しが悪いと感じれば自ら動き、運動会の設営を親父の会で手伝うなど、連携を強めてきた。
次の世代へ、面白さを手渡すために


かつて「治安が悪くて怖い」と言われ、よそを受け付けなかった今池。
いまは新しい人が増え、つながりも広がり、街は過渡期を迎えている。
テレビで取り上げられるのは有名どころばかり。けれど実際には、まだ知られていない面白い場所が数多くある。明山さんはもっと面白く、もっと活気ある街にしたいと語る。
今池には、新しい店や人の流れが増える一方で、昭和の面影を色濃く残す場所も少なくない。昭和の匂いと新しいポップさが入り混じり、面白いながれができてきている。
「おしゃれなお店も増えてきたけど、ネオン街の奥に佇む老舗キャバレー花園みたいな、“生きた名古屋昭和レトロ”もちゃんと残ってる。そういう本当の今池も受け継ぎながら、もっともっと盛り上げていきたいね。」

「この街を“面白い”と感じた子どもたちは、大人になったら戻ってくる。自分が受け取ったものを今度は渡していく側になる。そうすれば今池は萎むことなく、何世代も続いていく。」
明山さんが見据えるのは、世代を越えて紡がれる街と、そこに関わる子どもたちの未来だ。
今年6月には商店街の常務会計理事に就任。世代交代のただなかで、中枢に入りながら次の街の形を模索している。
「一人の人、ヒューマンでつながっていきたい。障がいも世代も関係なく、みんな一人の人間だから。」
その信念どおりに、彼はいまも動き続けている。
おもちゃ箱のような今池の未来は、彼の手を通じて、さらに色鮮やかに広がっていくだろう。